2026年3月26日、Redditのr/Notionに投稿が上がった。

「Notion Has Header 4 Now!!!」

感嘆符が3つ。46人がupvoteした。コメント欄は歓喜で埋まっていた。「tiny feature, but this matters more than any AI feature they've added」と書いた人がいた。

見出し4。ドキュメントの階層を1段深くできるようになった、それだけの話だ。

この日、NotionはVersion 3.4をリリースした。AIがページ内のデータを理解して提案してくれる機能。ダッシュボードを自在にカスタマイズできる機能。スライドのようにページを表示するプレゼンテーションモード。どれも大きな変更だった。開発チームが力を入れてきたことは一目でわかる。

でもRedditで一番騒がれていたのは、見出し4だった。

AIでもなければ、データベースの新機能でもない。地味な書式が1つ増えた。それだけで、なんでこんなに騒いでいるのか。

僕はNotionの認定コンサルタントをやっている。見出し4がなかった時代を、3年以上そのまま仕事で使っていた。

構造が深いドキュメントを作るとき、見出し3の下に太字を置いていた。見出し3の次が太字。太字の下にさらに太字。書いているうちに自分でも「これは見出しなのか、強調なのか」がわからなくなる。読む側はもっとわからない。

トグルを入れ子にして階層を稼いでいたこともある。トグルの中にトグルを入れて、見た目上の階層を作る。Redditのコメントに「overusing toggles just to fake structure」と書いている人がいたけれど、まさにそれだ。構造を偽装していた。偽装しているという自覚もなかった。当時はそれが「工夫」だと思っていた。

Obsidianではファイル名が見出し1の扱いになるから、本文は見出し2から書く。Claude Codeでドキュメントを書くときも、気づくと見出し2から始めている。見出し1を使わない前提で頭が動いていた。どちらも見出し4がないことは気にならなかった。正確に言うと、気にならないように自分のほうを合わせていた。

見出し4がついた日に、気づいたことがある。

慣れていたんじゃない。我慢していたんだと思う。

不便さに慣れることには、利子がつく。慣れるほど、不便を不便と感じる力が落ちていく。最初は「ちょっと足りないな」と思っていたものが、半年も経つと「まあこんなものか」になる。1年経つと、そもそも足りないことを忘れる。忘れた頃には、足りないことが前提になっている。

プロダクトの側に積もる技術的な借金を、ソフトウェアの世界ではテクニカルデットと呼ぶ。見出し4がなかったのは、Notionのデザインデットだったと思う。後回しにされた設計上の借金。でも借金が積もっていたのは、プロダクトの側だけじゃない。

僕の側にも積もっていた。トグルで階層を偽装し、太字で見出しの代わりをさせ、「これで十分」と自分に言い聞かせていた分だけ、借金が増えていた。プロダクト側のデザインデットを、ユーザーが肩代わりしていた。

この、ユーザーの側に静かに積もっていく借金のことを、慣れ負債と呼びたい。

ここまで書いて、思い出したことがある。

クライアントに説明するとき、僕は「見出し3で十分ですよ」と言っていた。「太字を使えば実質4段目になりますから」と言い添えて。あのとき、僕は何をしていたんだろう。

認定コンサルタントという立場で、不便の肩代わりを手伝っていた。いや、もっと正確に言うと、肩代わりを「運用のコツ」として教えていた。床の穴の上に、上手にカーペットを敷く方法。穴を塞ぐ方法じゃなくて、穴があることを忘れる方法。

「十分ですよ」と言い続けた相手の顔が浮かぶ。あの人たちは、見出し4がついた今、何を感じているだろう。たぶん「便利になったな」くらいだと思う。でもそう感じること自体が、慣れ負債の利子だ。3年間の我慢が、ちょっとした便利さに回収されて終わる。

僕は、クライアントの慣れ負債を増やす側にいた。

困っているのはクライアントだった。でも「困っている」と言葉にしていたのは、たぶん最初の1回か2回だけだ。3回目には言わなくなっていた。言わなくなったのを、僕は「慣れた」と受け取っていた。慣れたんじゃなくて、諦めていただけかもしれない。それとも、僕が「十分ですよ」と言ったから、困っていることのほうが間違いだと思ったのかもしれない。

コンサルタントが「十分ですよ」と言うと、クライアントは自分の不満を疑い始める。これは制約への適応であって、最適な設計ではなかった。でも、僕も含めて誰もそう言わなかった。

ただ、これは道具の話だけじゃない気がする。

Notionのデータベースで、プロパティの並び順を変えたことがある。使用頻度の高いものを上に持ってきただけだ。作業が3秒速くなった。

3秒。

でもその3秒を、それまで毎日、数10回、何も感じずに払っていた。1日30回として90秒。1か月で45分。1年で9時間。数字にするとそれなりの量だけど、問題は量じゃない。毎回の3秒を「不便だ」と感じていなかったことのほうが問題だ。感じていれば直していた。感じなかったから、9時間を払い続けた。

小さいから気づかない。気づかないから積もる。積もるから、修復されたときに初めて「あ、こんなに払っていたのか」と驚く。

品質管理の世界に、狩野モデルという考え方がある。製品の品質を「当たり前品質」と「魅力的品質」に分ける。当たり前品質とは、あって当然のもの。なくて初めて不満になるけれど、あっても感謝されない。

建物で言えば、床に穴が開いていれば文句を言う。でも穴を塞いでもらっても「ありがとう」とは言わない。当たり前だから。穴がない床の上で生活するのは、喜びではなく前提だ。一方で天井に美しい飾りをつけてもらったら、人は喜ぶ。SNSに写真を上げるかもしれない。床の穴と天井の飾りでは、注目のされ方がまるで違う。

見出し4は、床の穴だった。天井の飾りではなかった。AI統合もダッシュボードもプレゼンモードも、天井の飾りだ。使えば便利だし、見栄えもする。でもRedditで一番騒がれたのは、地味な書式が1つ増えたことだった。Notion 3.4の大型アップデートの中で、見出し4が一番反応を集めたのは、だからだと思う。Redditで騒いでいた人たちは、喜んでいたんじゃなくて、たぶんほっとしていた。ようやく穴が塞がった、と。

茹でガエルの比喩を使いたくなるところだけど、あれは嘘だ。カエルはちゃんと逃げる。水温が上がれば飛び出す。人間のほうがよっぽど鈍い。なぜかというと、人間は「これは許容範囲だ」と自分に説明する能力を持っているからだ。カエルにはその能力がない。だから逃げられる。

僕たちは「慣れた」と「我慢した」の区別がつかない。その境界は、修復された瞬間にだけ見える。見出し4がついた日に、自分が我慢していたと気づいたように。

ここから先は有料パートです。

無料パートでは「慣れ負債」という名前と、しかた自身の体験を書きました。有料パートでは、この構造がなぜ本人にすら見えないのかを学術研究から掘り、個人・組織・世代の3つのスケールで同じ形が現れることを見ていきます。

logo

Paid Subscribe

アップグレードして続きを読む。

Upgrade

コメント

Avatar

or to participate

おすすめ記事